夢のために、5年間。
1日200円の生活を自らに課し、誰にも頼らず、資金を貯めてきた。
飲食店をやる。人生の記憶をつくる店を持つ。
その“本気の覚悟”を証明する時間だった。
いよいよ、物件探しが始まった。
私は、守山市に狙いを定めていた。
地元の人にも愛され、遠方からも訪れてもらえる──そんな立地を本気で探していた。
そんな中、出会ってしまった。
それが、ポレスター守山東棟だった。
再開発の象徴とも言える立派な建物。
上層は分譲マンション、1階、2階は商業棟になるという。
見た瞬間、身体が反応した。
──「ここでやりたい」
理屈ではなかった。
この街の未来と、自分の夢が重なった気がした。
けれど、ここからが地獄だった。
不動産会社を何軒も回った。
「ポレスター守山の商業棟で出店したい」と伝えても、
「情報がない」「ルートがない」──その返答ばかり。
ならばと、上階のマンションの管理会社にも連絡した。
それでも、やはり繋がらない。
どれだけ調べても、出店までの道が“まったく見えない”。
私にできることは全部やった。
でも、道は閉ざされたままだった。
それでも──どうしても諦めきれなかった。
この場所にしかない何かを、私は感じていた。
その気持ちが、ある決断を生んだ。
「電話先を変えてみよう」と思った。
建物のオーナーでもない。
商業棟の担当でもない。
でも──「もしかすると、守山市のデザイン会社なら何かヒントがもらえるかもしれない」。
そう考え、周辺のデザイン会社を探し、電話をかけてみた。
建物のデザインに関わっているわけではない。
でも、地元の情報を持っている“かもしれない”という小さな可能性に賭けた。
そして、その電話が奇跡を起こした。
電話先のデザイン会社の社長さんが、なんと、
ポレスター守山の商業棟を物件を購入する予定の不動産会社の社長さんが知り合いだったのだ。
この時、心の奥から震えた。
「繋がった……」
ようやく、道が見えた気がした。
そこから私は、デザイン会社さんに正式にデザインをお願いした。
そうすることで、その先の出店交渉が進み、
半年越しで、ようやくこの“運命の場所”にたどり着くことができた。
あの時、ただ諦めていたら──
あの一本の電話をしなかったら──
今の「Turu no Omotenashi」はなかった。
正面突破では無理だった。
でも、視点を変えた“仮説”と“執念”が、奇跡の扉を開けた。
夢は、想っているだけでは叶わない。
情報がないなら、動くしかない。
扉が閉まっていたら、叩き方を変えるしかない。
それを教えてくれたのが、あの半年間だった。
今も、店のドアを開けるたびに思い出す。
この場所に立てていることが当たり前ではないことを。
あの時、道なき道を探し続けた自分がいたから、今がある。
そしてこの場所が、たくさんのお客様の
「人生のごほうび」になるようなレストランに育ってくれていること。
それが何よりも嬉しい。
次回は、この空間で始めたばかりの頃、
“誰のために、どんな料理を出すのか”に悩み抜いた、
最初のメニュー作りの葛藤と決断についてお話しします。
『つるっち』こと 今鶴 博でした。
※契約が正式に交わされるまでは、一切詳細を口外せず、誠実に対応してきました。今こうして振り返り、改めて感謝の想いを込めて書いています。